日々思うこと


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Where my friend was killed

これがずばり私の友達が泳いで渡ったというところ。

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これが友人が亡くなった、名取市を襲った津波。

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# by minami-721 | 2011-03-30 22:49

友人の死

東北大学をこの3月で卒業するはずだった友人が亡くなった。

私の高校ではクラス替えがなく、3年間彼女と一緒。
地震があったその日、うちのクラスの人のほとんどは彼女の安否を心配したと思う。
同じクラスの私の親友がその子と仲良いので、地震の後にすぐに連絡したら、
大丈夫とのこと。 そっか大丈夫だったんだ!よかったよかったなんて思ってたら、
月曜日の夜にその友達から電話。

泣いてたからすぐにわかった。

「どうしたの?え?なに?どうしたの?」
「たもがね、死んじゃったって・・・」
「え?うそでしょ?いやうそでしょ?だって大丈夫だって言ってたじゃん」

名取市で津波にのまれて死んだらしい。
あとから詳しく聞いた話によると、彼女の最期はあまりにも彼女らしかった。

4月から東京に帰ってくる予定だった彼女は、友人の家の夕食に招待されたそうだ。
地震が起きた時は名取市を車で走っていた。彼女は地震後すぐに東京の両親に無事の連絡をしたらしい。
車に乗ってたときは、そんなに大惨事だとは思わず、家に帰ってその状況を知り、
友人とその祖母を老人ホームに避難させた。

家には彼女と友人の母が残り、そのとき津波が襲ってきた。
なんとかして屋根まで避難し、周辺にいた人5人と共に屋根をジャンプしながら
安全なところまで避難しようとしたらしい。
その5人のうちの1人が、自衛隊で訓練をうけた19歳の男の子。
近くにプロパンガスが浮いていて、もし火災になったら一瞬で火にのみ込まれると、
彼の判断で避難をした。
屋根と岸の間に、津波でできた川があり、そこをみんなでなんとか泳ぎきって避難所まで到着した。
最初は話したりもしてたらしいが、彼女だけ容態が急変して次の日の朝に亡くなった。
実は屋根を飛んでいるときに、一度転んで手首を切ってしまったのだそうだ。
もしかして動脈も切ってたかも知れなくて、それが原因で亡くなったとお母さんが言っていた。

彼女はとても我慢強い子で、友達に嫌みを言われても明るく切り返すような子。
簡単に想像できる。避難所で老人とか小さな子、悲惨な状況を見て、きっと
「大丈夫です!私はぜんぜん大丈夫です!」って笑って明るく言ってたんだろうな。
大丈夫じゃなかったのに。

今週、彼女のお通夜に出席するために東京に日帰りして行ってきた。
同窓会でも10人ちょっとしか集まらないのに、30人以上集まったクラスメイトと担任。
こんなことで集まりたくなかったよねーなんて言いながら。

彼女はお化粧もしてもらって、とってもきれいな顔をしていた。
でも、冷たそうで寒そうだった。穏やかな顔をして眠っていた顔を見れただけでも本当に良かった。
私がかけられた言葉といえば、
良く頑張ったね。寒かったよね。たもの分まで生きるからね。明日これなくてごめんね。
返事はもちろん帰ってこなかったし、今となってはこんな言葉もテレビで流れるCMの
音くらい無意味なもの。

彼女は4月から東京の高校で化学の教師として働くことになっていた。
配属先の校長先生が、彼女の家に電話して面接の日程を決めようとしたときには
すでに亡くなっていて、彼女の母が遺体を仙台まで引き取りに出発していたときだった。
その配属先が、私たちの高校だった。

神はどうして彼女を選んだんだろう。





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# by minami-721 | 2011-03-26 20:32

地震の続き-父の話し-

地震が起きた時うちの家族は・・・

母⇒八王子の実家にたまたま北海道からきてたおばさんと。地震直後スカイプで連絡し、安否確認。
父⇒福岡にいってたと思ったら、東北大学で講義中、泣。16時くらいに連絡があって無事確認。
兄⇒青山一丁目の25階。しぬかと思ったらしい。
義姉⇒東京駅のビル5階。

父とは父の携帯の充電が続く限り連絡とってました・・・
東北大学は青葉区だけど高台だし、避難者受け入れてるところだから食料は大丈夫とのこと。
だけど寒いんだって・・・
本当に心配で超泣いてしまった・・・いつ帰ってこれるかわからなかったし。
結局、避難生活3日目に仙台から山形市までタクシーで。
山形市から新潟までタクシーで。新潟から新幹線で帰ってきました。
以下山形より父からのメールです。

皆さんおはようございます。
昨夜は6時間ほどぐっすり眠れて、いま、ベッドから出ました。
ベッドの上でのストレッチ運動も2日ぶりにしました。
暖房のきいた暖かい部屋での睡眠で地震被災の緊張と恐怖のストレスから多少解放され
ました。

山形に着いてからも地震は数回ありました。一度は震度2程度であとは弱いものでした


今回の地震ではテレビでも報道されているように、地震以上に、津波の被害が甚大です
。一緒に避難していた大学の職員の女性も地震直後に名取町の自宅に電話したら、80
歳のお母さんが2階にいて、一階はすでに津波で水浸し状態とのことでした。その後は
何度連絡をとっても電話がつながらない状態。名取町はその後、ニュースで津波に洗い
流された様子が出ていましたのでどのようになったのか心配です。そんな状態でも、私
の携帯のバッテリーが少なくなってきたと言うと、零下の気温の中、外の駐車場の自分
の車まで連れて行ってくれて、エンジンをかけ、暖房を入れて、30分ほど充電してく
れました。ガソリンも残り少なくなっているのに、窮地に追い込まれていても人への優
しさを示してくれたことに本当に感動と感謝でした。

避難所の中ではみんな助け合いあって、過ごしていました。同じ、厳しい環境にいると
、人間はいろんな違い、しがらみとは関係なく優しくなれるものです。

東北新幹線の状況、電力供給の復旧状況、さらには、福島の原子力発電所の状況を総合
的に判断して、とにかく、仙台を脱出することにしました。できるだけ早く東京に帰れ
ること、より安全であることを考慮して、山形にしました。Taxiと交渉して、2台を確
保、6人で仙台を出たのが土曜日の午後5時。高速道は全面閉鎖中でした。幸い、通常
の道路はすいていて、道路陥没も、路上の雪もなく、1時間半で山形県の天童市に到着
。来る前に山形市のホテル数軒に予約電話を入れてもすべてだめだったのですか、天童
で飛び込んだホテルに空きがあって、やっと、暖かい部屋でくつろげました。大浴場も
あって疲れも取れました。山形もわれわれが到着する直前にやっと電力供給が復旧した
とのことでした。

今日は、9時過ぎにホテルをTaxiで出て、米沢経由で新潟に向かいます。3時間半ほど
の道のりです。上越新幹線は昨日午後から動き出したので、多分、午後の列車には乗れ
ると思います。その場合、北野には6時前に戻れると思っています。

福島原発はまだまだ予断を許さない状況で、福島を回避したルートで帰られるので少し
は安心です。まだ、メルトダウンまで行っていないのは幸いです。

皆さん、心配おかけしました。
この歳になって新たな経験ができ、人間的にもすこし成長できたような気がします。
再会を楽しみにしています。

このメールを打っている最中にも強い揺れがあったホテルルートイン天童の5階・50
3号室にて
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# by minami-721 | 2011-03-23 12:03

地震

東京も、普通の生活に戻り始めたようなのでブログを書いてみようと思います。
そろそろ気持ちの整理をする時期かなと。
地震が起きた時、初めてのバイトで大手町の法律事務所にいました。
そのとき男の先生が方が外出中で、事務所には私含め女性三人。
揺れは1分くらい続いたはず・・・
おんぼろビルの2階にいて、ビルが崩れたら・・・とかその1分間の間にいろいろ
考えてしまいました。
そしてなぜか30代の女性を2人引き連れて外に逃げ、大きな余震の後に皇居に逃げました。
あたしの携帯、ワンセグも見れないので何が起きているのかわからず。
東京駅までいって1,2時間待ってれば電車始まるかな~と思い、一人歩くことに決めました。

途中、交番によると電車復旧の見通しはないとのこと。
では、ということで新宿まで歩くことを決める。
途中雨が降ってきて、もうこの世の終わりかと思いました。

交番があるたびに道をきき、歩く。
何千人という人が歩いているのを見て、これはただなることが起きたんだなぁと感じた。車も大渋滞。
ヘリも飛んでいるし、鳥の飛び方が明らかにおかしい。
一番つらかったのは、一人で歩いていたこと・・・
会社の同僚やら友達と歩いてる人がどれだけうらやましかったか。
最初の3時間は楽しく歩いていたけど、そのうちまじで泣きそうになる。

四谷まで着いた時、丸ノ内線をのぞいてみたら全く運転の見通しがたたないとのこと。
完璧に安全が確認できるまで走り始めないよなぁ。日本人でもわからないくらい
たくさんがある路線を全部確認するのなんて、途方もない時間がかかるだろうなぁと思い、
兄が住む渋谷にその日は泊ることに決める。

半泣きになりながら、5時間歩き無事到着。歩いてる途中も揺れ。
兄の部屋は11階。もちろんエレベーターは閉鎖されてて、ふらふらになりながら11階まであがる。
着いた時に、テレビで見た津波を見て、何が起きたのかを知る。
地球が暴れている。

私は帰宅難民の中でも幸せなほうだったと思う。
兄と一緒に、しかも屋根のあるところで、ご飯もあったし、もう22歳だったので
一人で落ち着いて対応することができた。携帯も持っていたし、お金ももってたから
途中で飲み物やらホッカイロを買うことができた。

だがしかし。
兄のマンションは11階で築30年の鉄筋コンクリート。
倒れるかもしれなし、火事が起きたら逃げられないという恐怖感の中、
余震に悩まされ結局1時間とか2時間しか寝れず・・・

たったあの1日の事実を羅列するだけでこんなに長くなってる・・・
しかも文章つまんない。
でもどっちかというと、これは記録。
また時間があるときに書こうっと。ちなみに今大阪。
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# by minami-721 | 2011-03-22 22:54

真夜中の

本当にこれでいいのかな・・・
急に。なんか。不安になってきた。
でもきっとそれは夜1時半だからだと思う。
ちなみに人が一番悩む時間は2時だと思う。
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# by minami-721 | 2011-03-10 01:29